第14章 医療
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GDPの17%にあたり、ほとんどの国の経済生産高を上回っている
アメリカでは6ドル使うごとに1ドルが通院、検査、入院、手術、処方薬に支払われていることになる
コラム15 「医療」
本章では、病気の診断、治療、予防に係る行為についてそれらをすべてまとめて「医療」という単語を用いている
薬、手術、検査、救急、通院など医療費が請求されるほぼすべてのもの
医療を経済財として扱い、「医療消費者」や「医療の需要」さらには「限界医療」という言葉さえ用いる
限界医療とは、受ける人もいれば受けない人もいる医療、あるいは費用を余分に負担すれば受けられる医療を指す
なぜ医療に、ついでに言えば、経済財全般に、これほどの金額を費やすのかという質問には二つの要素、すなわち需要と供給が絡んでいる
現在までの公の議論はそのほとんどで供給側に焦点があてられている
本章では需要側に目を向ける
本章では、本物の治療で見えにくくなっているとはいえ、「痛いの痛いのとんでいけ」のような儀式が現代の医療行為にも潜んでいるということをテーマに検討していく
その儀式では、患者は幼児の役割を担い、支援が提示されることをありがたく思う
一方、母親の役割は医師だけでなく、患者を病院に連れて行く配偶者や親、子守に手を貸してくれる友人、職場で代わりに仕事をしてくれる同僚、そして何よりもまず患者の健康保険に資金を投じている人や組織など、途中で手を差し伸べるすべての人
この資金援助者には配偶者、親、雇用者、そして政府が含まれる
そのそれぞれが、ケアを提供する代わりに患者から少しばかりの忠誠心を得ようとする
医療の実際に治療する力は衒示的ケアのやりとりを見えにくくする場合がある
だが、ノースカロライナ州出身のコメディアン、ジーン・ロバートソンは、病気の友人や家族に食べ物を持っていく習慣を取り上げて、それを前面に押し出している わたしが住んでいる地域では、だれかが病気になると食べ物を持っていくの。知っていた?もちろんその食べ物は食料品店か総菜店で買ってもいいのよ。でもね、これは人生で大切なことリストに書いておいたほうがいいわ。自分で作った料理のほうが株が上がるの。いくらおばあちゃんの大皿に盛りつけたって、キッチンにいるだれかが「あのチキンをどこで買ったか知ってるわ」と言うに決まってるんだから。本当よ、そういう風になっているの。
ここでの引用は内容を明確にするために編集されている
食べ物を持参する目的が家族に食料を与えるだけなら、店で買ったものでも役に立つ度合いは同じはず
けれども目的はそれだけではなく、わたしたちは病気の家族に対して、自分がいかに忙しいスケジュールをやりくりして助けているかも示したい
進化論に基づく主張
世話をするという行動が進化したころの祖先の状況を考えることが役に立つ
きわめて重要なことだが、わたしたちの遠い祖先には、効果的な治療という意味での医療はほとんど存在しなかった
それでも、病気や怪我をした人の面倒を見ることは大切な行動であり、生存と生殖に不可欠だった
100万年前の狩猟採集民で怪我が治る1~2週間を生き延びる
何よりもまず、自分と家族の食べ物が必要
狩猟採集民は持ち運べる分だけを持つ
ほとんどのものは腐りやすい
しかしながら、物理的な支援に加えて、政治的な支援も必要だ
つまり、自分が動けない間、自分の利益を守ってくれる人々がいる
同盟の仲間なら、集団の決断について代理で主張する、交配相手が裏切らないかどうかを見張る、病気を利用して攻撃してくる敵から守るなど、様々な方法で支援してくれる
こうした政治的な問題から、目に見える支援が望ましい理由が説明できる
ライバルが自分の交配相手を狙っている場合なら、同盟仲間が見張っていることに気づけば、敵が行動を起こす可能性が下がる
同様に、横柄に振る舞ったりだれかの交配相手を奪ったりして、自分が敵を作ってしまった場合にも、仲間が背後を見張ってくれれば攻撃されずにすむかもしれない
病気になることで、集団内での自分の立ち位置がはっきりとわかるようになる
病気になる前は自分が好かれているような印象をみなに与えることに成功していたように見えていたけれども、実は人々は報復を恐れていただけだったのかもしれない
病気の時に見放される危険を考えれば、病気の人はなぜ支援されると嬉しいのか、それ以外の人はなぜ支援することに熱心なのかがわかる
部分的には、それは「立場が逆になったときに助けてくれるなら、今回は助けてあげよう」という単純なお返しだ
しかし、支援の提供は第三者に対する宣伝でもある
「友人が斃れた時に私がどれほど助けているかをみてごらん。もしあなたが友だちになったなら、あなたも同じように助けてあげよう」
困った人を助けることで、同盟相手としての自分の価値を証明している
歴史に見る医療
歴史の記録は明確で一貫してる
いつの時代にもどのような文化でも、たとえ治療に効果があると証明されていなくても、また治療が明らかに有害であってさえ、人々は医療行為に前向きだった
Hanson, 2008「シャーマンと医者ははるか昔から需要があった。もっとも現代の医学史学者のあいだではそのような医者はだいたいにおいて20世紀になるまでほとんど役に立っていなかったというのが定説である」(Fuchs, 1998) そうした昔の治療方法に科学的厳密さという点で欠けているものは、みなから尊敬され、高い地位にある専門家が念入りなケアと支援を行って見せることで十二分に補われていた
実際、治療者は部族文化の中で最初に専門化された役割の一つだった
神官と医者を兼ね合わせたようなシャーマンは、病気の患者のために様々なヒーリング儀式を行った 儀式の一部には効果のあるハーブが用いられたが、多くは踊り、呪文、祈りのように、現在はまったくの迷信と考えられているものごと
古代エジプトの医学書には驚くほど現代と似ている医療体制が記されている
高額な治療費を請求する医者が、特定の細かい症状に合わせて複雑な治療方法を行っていたが、そのほとんどはあまり効果がなかった
そしてもちろん、多くの治療は実際には逆効果だった
ネイサン・ベロフスキーは著書『「最悪」の医療の歴史』で、ぞっとするような有害な治療が時代を超えて、医者の手で広く行われてきた様子に触れている ヒルを用いた吸血と血を抜く瀉血、悪霊を放出するために頭蓋骨に穴を空ける穿頭、目に見えない「歯の虫」を殺すために口のなかでろうそくを燃やす方法、恋に悩む患者にあてがう鉛の防護物など(Belofsky, 2013) とりわけ害のある行為は「反対刺激」として知られるもので、患者の体に切れ込みを入れ、乾燥豆などの異物を挿入し、その傷が治療しないように定期的にその傷を切開する方法(Belofsky, 2013) 衒示的ケアの論理は、1685年2月2日に原因不明の病に斃れたイングランド王チャールズ二世の身に起きたことにひときわはっきりと示されている
国王の治療記録は、王の命を救うためにあらゆる手を尽くしたと国民に納得させたかった医師団の手によって発表された
(およそ800ミリリットルの血を抜いたあとに、)陛下に有毒金属のアンチモンを飲ませた。陛下は嘔吐したが、何回か浣腸した。悪い体液を下方へ流すために、髪を剃り、頭皮に水ぶくれを起こさせる薬物を塗布した。下方へ流れた体液を引き寄せるために、ハトの糞を含む化学刺激物の膏薬を陛下の足の裏に塗った。新たに300ミリリットルほどの瀉血を行った。陛下を元気づけるために砂糖飴を差し上げたうえで、赤く熱した火かき棒をあてがった。そののち、暴力的な死を迎えたことが確実な「埋葬されていない人間の頭蓋骨」から得た分泌液40滴を投与した。最後に、東インドのヤギから採取した腸石を砕いて、陛下に嚥下させた。(Belofsky, 2013) もしチャールズ二世の医師団がたんにスープと安静を指示したら、「十分な」対応がとられたかどうかをみなが疑う可能性がある
その代わりに、国王の治療は入念で専門的だった
医師団は医療ミスと非難されなくてすむ
医師団の賢明な治療努力は雇用者、すなわち国王の家族や助言者にもよい印象を与える
チャールズ二世にしてみれば、そうした治療を受けられるということは、王国で一番の医師団に治療をさせている証しである
進ひときわ苦しい治療に同意することで、どんな手段を使っても病から回復するという自分の揺るぎない決意を示すことになり、臣下に自信を抱かせることにもなる
今日においてさえ、できるかぎり最善のケアを受けているように見せたい強い動機がある
メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのバリー・キャシレス「ジョブズは代替医療に頼ったために命を落としたようなものだ。本質的に自殺を図ったのと同じだ」(Szabo, 2013) 仮にジョブズの家族が膵臓がんにかかってジョブズ一家が同じような代替医療を求めれば、大衆の怒りは相当に激しくなるだろう
要するに、最高水準の医療を支持しないと望まない陰口とあからさまな非難の対象になるリスクがあるということ
医療に対する「個人」の決定のように見えるものは、じつはきわめて公のもので、政治的でさえある
今日の医療は過剰である
今日の医療は重要な点で異なっている
しばしばたいへん効果があること
けれども、医療がしばしば効果的であるという事実はわたしたちがどれだけケアしているかを示す方法としてもそれを利用することを拒むものではない
したがって疑問は残ったままで、現代医療は部分的に衒示的ケアの儀式の役割を果たしているのだろうか
もしそうなら隠されたケアの動機は目に見える治療の動機と比べてどれほど重要なのだろうか
衒示的ケア仮説に基づく最大の予測は医療が過剰になること
ものごとは大抵の場合、製品やサービスがプレゼントとして用いられると過剰になる
バレンタインデーでは凝ったチョコレート
クリスマスプレゼントはえてして自分用に買うものより高価で、役に立たない事が多い(本当に靴下をもらう子どもも確かにいるが)(Waldfogel, 1993) 医学的な治療は費用と健康上の利点に応じて様々に異なる
患者がよくなることだけに目を向けるのなら、健康上の利点がコスト(金銭費用、時間費用、機会費用など)を上回ると考えられる治療にだけ費用をかけるはず
けれども、衒示的ケアの需要もある場合には、費用に対して十分な効果が得られる治療ラインを超えて消費が増え、費用が高いけれども健康上の利点が少ないものが含まれるようになると考えられる
現代人が医療を過剰に消費しているかどうか
ここではおおむね、個々の治療については考慮しない
医療費の全体的な影響についてはその方法ではよくわからない
医療と健康の「集約」関係を検討していく
様々な状況で人々が選択する治療方法を考えた時に、費用をかければかけるほど平均して健康状態が良くなっているだろうか
ここではまた、調査の対象を「限界医療」消費に絞ることにする 医療を受けることが医療を受けないときに比べてよいかどうかは問題にはしないが、先進国で受けられる治療の選択肢を考えた時に、たとえば年間7000ドルの医療費をかけることが5000ドルよりもよいのかどうかを考える
そして本書はおもに、適切なデータがそろっているアメリカに焦点をあてる
調査を開始する最初の分野は、同じ国内の異なる地域における医療効果の比較
同じ症状でも地域によって大きく異なる治療を受けている場合がよくある
こうした多様性は一種の自然実験であるため、「地域ごとの限界医療」効果の調査ができる 調査結果はかなり一貫しており、余分な医療には効果がないことを示している
医療支出の多い地域の患者は症状に対してより多くの治療を受けるが、平均して、医療支出の少ない地域の治療の少ない患者と比べて健康状態がよくはならない
年齢、性別、人種、学歴、収入といった医療の利用と健康に影響をおよぼす多くの要因を統制しても、その結果は変わらない
アメリカの50の州における死亡率の差(年齢と性別を調整済みの死亡率)は、収入や学歴などの変数の差からは予測することができるが、医療費の差からは予測できないとわかっている
その後、アメリカ国内で医療保険メディケアに加入している1万8000人の患者を対象に、同じ病名と診断されているけれども治療レベルの異なる人々が調査された(Fisher et al., 2003) Fisher et al., 2000「病院の受け入れ能力が高い地域では、社会経済的特徴と病気の重症度を統制してもなお、住民の病院利用が著しく増加する。この利用増加が死亡率の減少に貢献しているとは認められない」 これらすべての調査から、医療支出の多い地域で治療を受けてもそれ以外の患者と比べて健康状態に差がないことがわかっている
地域ごとの差を調べた最大の調査はおそらく、アメリカ国内にある3400の病院を対象に500万人のメディケア患者に対する終末医療を調べたものかもしれない
わたしたちは、病院から患者を早期に退院させるより、集中治療室(ICU)に長く入れておく方が、患者が長生きするだろうと考えがち
この推定はゼロとあまり変わらない。データセットのサイズが大きいため、患者の年齢、性別、人種、郵便番号から判定する地域の都市化の状態、教育、貧困、収入、障害、結婚や雇用の状態、そして通院圏の罹患率など、研究者は多くの要因を統制することができた
同じ調査で、患者が1000ドル余分に費やした場合には、余命は最高で5日長くなり、最悪の場合は20日短くなったと推定された(95%信頼区間)
これらの調査はその他の多くの調査と並んで(すべてではない(Hadley, 1982))、患者が医療行為を多く受けても、健康状態はよくならないことを示している これらは単なる相関関係の調査
主張を揺るぎないものにするためには、無作為比較調査に目を向けなければならない
ランド研究所の医療保険実験
1974年から1982年にかけて、非営利政策シンクタンクのランド研究所が5000万ドルを投じて医療と健康の因果関係を調べた
アメリカの6つの州から非高齢者の成人5800人が抽出された
各都市ごとに参加者は全員が同じ医師や病院にかかることができるが、無作為に異なるレベルの医療助成があてがわれた
一部の患者はすべての通院や治療が満額助成され、どれだけ医療を消費しても自分は一銭も払わずにすむ
それ以外はそれぞれ請求額の5%から75%までが割り引かれる
5%の助成は実質的には実質的にはほとんど助成がないに等しいため、患者を調査に参加さっせるために実験者はいくらかの動機づけを用意した
一部助成群にはまた「最大消費額」群も含まれていた。患者の支払いが1年のあいだに最大額に達した場合に、その年の残りは無料になる
予想どおり、満額女性を受けた患者は、それ以外の患者よりもはるかに多くの医療を消費した
総費用で比べると、満額女性の患者は助成なしグループの患者より45%も多く使った(保険でカバーされるすべての医療の総額で比べている)
この45%の差はこの調査における限界医療の部分にあたる
しかしながら、ランドの実験では、医療消費に大きな差があったにもかかわらず、患者グループ間に検出できるほどの健康差は見られなかった
健康状態を測定するために、調査の前後で参加者全員に広範囲な健康診断が行われた
残念ながらランドの調査はそれほど規模が大きくなかったため、死亡率への影響は検知できなかった。したがって、健康の中間調査だけが追跡された
さらに調査では、詳細にわたるアンケートを用いて、全体的な健康状態について、身体機能、役割機能、メンタルヘルス、社会的な健康、全般的な健康認識の5項目が測定された
実際には生理学的項目は23あったが、個々では長期的な視野に立っている項目をひとつ除外している。理由はその治療(視力補正用レンズ)は医学というより物理学の問題だと思われたためである。
実際生まれつきかつ貧困かつ健康な患者群にとって無料の医療は実質的に有害であると、研究者は「ほとんど有意」な結果(有意水準6%)を得ている
ここでも長期的な視点から統計学的に有意な(まったく予想通りの)改善、すなわち眼鏡への助成は除外してある
ノイズの多い20の測定のうち、たとえ数字が実際にはゼロでも、平均してそのうちのひとつはランダムにゼロではない値を示すからだ(95%信頼区間で)
言うまでもないが、ランドの実験を行った研究者はその結果に驚いた
さらに詳しく調べるにあたって、彼らは満額助成の患者がほかの患者よりも効果の低い治療方法を選んだのではないかと考えた
満額助成の患者は不必要な外科手術を受けたり、軽い症状で通院したのかもしれない
だが、残念ながらそうではなかった
患者の記録を検討するよう求められた医師は、満額助成と助成のない患者の違いを見分けることができなかった
限界医療は、少なくとも専門家の目には「効果の低い医療」ではなかったことになる
ランドの実験のような大規模な無作為調査にはあとひとつだけ、オレゴン医療保険実験がある
2008年、オレゴン州は公的医療保険メディケイドの加入資格を抽選で与えた
そのため研究者はその抽選の当選者と落選者の健康状態を比較する機会に恵まれた
抽選にあたった人全員がメディケアに加入したのではなく、はずれた人全員が保険に入っていないのでもない。しかしながら、ふたつのグループには重要な違いがある。当選者は落選者より保険に加入している割合が25%点高かった
しかしながら、ランドの調査とは異なり、オレゴンの調査では二つの領域で当選者が落選者よりも著しくよい結果を出した
もう一つの領域は主観的なもので、当選者は自分が健康だと感じると述べる割合が高かった
言い換えれば、当選者はプラシーボ(偽薬)効果と同じような状態になっていた しかしながら、生理学的な健康という意味では、オレゴンの調査はランドの調査とまったく同じだった
でも……でも……
健康に多大な影響を与えることなく、おそらく医療消費の3分の1を削減できるだろう
そのような削減は、医療価格を一律に引き上げうr化、あるいは実証的な裏付けの弱い治療を禁止することで実行できるかもしれない
この結論について、医療政策の専門家のあいだではほぼ意見が一致しているが、一般の国民のあいだではそれほど知られておらず、受け入れられてもいない
多くの人にとって、その結論は、過去1~2世紀のあいだに成し遂げられた健康上の利点と矛盾するように感じられる
実際にはそうではない
ほとんどの学者は、先進国におけるほとんどの健康増進と長寿が医療の恩恵だとは考えていない
しかしながら、多くの科学者は医療が健康上の利益のほとんどをもたらしていると誤って発言していることに留意されたい
ノーベル賞受賞者でロックフェラー大学長のJoshua Lederbergは以下のように書いている「喜ばしいことに、1960年代までにポリオが撲滅され、ペニシリンを始めとする奇跡の薬で以前なら命を落としていた感染症を容易に克服できるものに変えた(中略)1990年には47歳だった寿命が1960年には70歳にまで延びたのは、ほぼ完全にこの感染症の克服のおかげである(後略)」 ノーベル賞受賞者で製薬会社のバローズ・ウェルカムの研究部長だったGeorge Hitchingsは「過去50年間における余命の増加は新薬に起因すると思われる」と主張した もちろん、ワクチン、抗生物質、麻酔、消毒技術、救急医療はどれもみなすばらしいが、全体としてのそれらの影響は実際にはかなり控えめである
それよりおそらく重要だと考えられえているのは、栄養、公衆衛生の改善、安全で楽な仕事などの要因
たとえば、1600年と比べて人々の身長が著しく伸びたのは、おもに栄養状態がよくなったため
一方、こちらのほうが重要なのだが、これまでの医療技術の多大な進歩からは、先進国で消費されている限界医療の価値があまり見えてこない
本書では医療を受けることが受けないことよりもよいかどうかを論じているのではなく、健康のために年間7000ドルを費やすことが5000ドルよりも効果があるかどうかを追求している
現代医療が奇跡を起こしているという考えと、わたしたちが頻繁に過剰な治療をしているという考えは完璧に両立する
一般の人にとっては、期待できそうな新しい医学研究についてメディアが伝えるさまざまなストーリーとこの苦々しい結論とを結びつけることもまた難しい
集約調査ではなぜ、そうした進歩が積み上がって大きな利益にならないのだろう?
その質問に対しては単純かつ驚くほど広く受け入れられている答えがある
あるいは少なくとも誇張されている
Lewis, 2012より「「臨床試験の治療効果が日々の臨床診療における効果よりはるかに高いことはよく知られている」 医学ジャーナルは「興味深い」新しい結果を発表したいがために、同じ結果が他の研究者によって再現されるまで待たない
したがって、もっとも有名な研究でさえ統計学的にまぐれあたりである場合が多い
たとえば、ある調査で、3つの有名な医学ジャーナルで発表された、引用の多い49論文が分析された
そしてこれは、発表されるすべての医学研究のなかでも、もっともきちんとした手順に基づく、もっとも評判の高い研究についての話
苦々しい結論を受け入れるにあたっての心理的な障害はもう一つ、特定の限界医療に価値を見出す人がいること
問題は限界医療にはメリットと同じくらいデメリットもあることが多い
処方薬にはほぼ副作用があり、その一部はきわめて危険
外科手術にはしばしば合併症がある
入院患者は感染症や伝染病にかかる危険が高い
アメリカ疾病予防管理センターによれば、不適切なカテーテルの使用だけで、年間8万県の感染と3万件の死を招いている(Aizenman, 2010) 衒示的ケアの検証
わたしたちの医療行動が「健康第一」ではなく衒示的ケアの動機に基づいていることを示すためには、衒示的ケア仮説によるほかの予測にも目を向ける必要がある
予測1 他者に負けまいと見栄を張る
医療がケアのシグナルとして作用していると、状況の影響を受けやすくなる
経済学者はまさにこの「他者に負けまいと見栄を張る」効果を医療に見出している
異なる国々で暮らしている同程度の収入と富を持つ人々を比較したところ、近所の人が比較的金持ちの豊かな国で暮らす人は医療支出が多く、近所の人があまり医療費をかけられない貧しい国で暮らす人は医療支出が少なかった(Getzen, 2000) 医療が健康状態をよくするために記念線を支払う単純な取引だと仮定すると、これは意味をなさない
けれども支払いの対価として手に入れる利益のひとつが社会的利益だと考えれば完璧に意味が通る
社会的利益を手に入れるためには、近隣の「ほかの人たち」と同じくらいの金額を費やす必要がある
予測2 効果と犠牲が目に見える治療を好む
贈り物をするにあたって社会的な評価を最大にするためには、自分がどれほど犠牲を払ったかを他者に見せる必要がある
ゆえに衒示的ケアは努力と犠牲を伴っていることが容易に見えるものが好まれる
治るという単純で個人的な目標のために医療を消費する場合、治療がきちんと行われるかぎり、費用がいくらか、どれほど努力が注がれているかはあまり気にならないはず
患者とその家族は「リラックスして、質のよい食事をとり、よく眠って、運動をする」というような簡単で安い治療方法にはそっぽを向くことが多い
その代わりに彼等は、最新機器、希少な物質、複雑な手順など高額で技術的に高度な医療を、願わくば「街いちばんの医者」に施してもらいたいと考える
患者は、本当に何の効果もないただの偽薬でも、衣料品の錠剤だと自分が信じているものを与えると具合がよくなる
このバイアスは、終末期の患者や年老いた家族の場合になおさら顕著になる
しかしながら、それは医学的な治療としてはもっとも効果が低い
たとえ死を遅らせることに成功したとしても、患者に適度な生活の質を与えられることはまれ
無駄な献身的終末期ケアをその目で見てきた医師が、自分の末期にそのようなケアを望まないことは’よく知られている
予測3 医療の質について個別の側面よりも一般的な側面に注目する
自分用に何かを購入するとき、人はその物品の質について、個別のシグナルと一般的なシグナルの両方を等しく考慮している
品物がよければ、どうしてそれがよいとわかるのかは関係ない
それとは対称的に、何かを贈り物として使うときには、それを贈ることで得られる社会的な評価を最大にするために、その贈り物の質が広く認められていることを他者に知らしめなければならない
医療では他の産業にも増して、個別の業績より標準的かつ一般的な目に見える信用や評判が注目される
複数の医師の中から選ぶ場合には、医師個人の患者に対する業績よりも出身大学や病院の名声が注目されがち
実際患者は医療の質に関する個別の情報には驚くほど興味を示さない
たとえば、死ぬ可能性が数%もある危険な手術を受ける患者が、事前に近隣の外科医と病院ごとの、その手術の患者死亡率(リスク調整後)に関する個別の情報を知る機会を与えられた
こうした比率には3倍もの開きがある
予測4 医療の質を率直に問うことをためらう
贈り物の場合はたいてい、その質を問うことは失礼にあたり、恩知らずだとみなされる
ゆえに医療の支払いを助けてくれる人に感謝しているように見せたい場合、医療の質をあからさまに疑うことにはどうしても消極的になる
医療に対する猜疑心は今日のゆるい社会的なタブーであるように思われる
多くの人が現代医療の価値を疑うということにかなりの抵抗を感じている
どちらかと言えば、単に医者を信じて、最善の結果を期待したいのだ
それでも医療もそれなりに詳しく検証されるべきである
単純な理由のひとつは医療事故の数の多さと犠牲の大きさ
簡単な改革には以下のようなものがある
カテーテルの利用を規制する
検死を義務づける
脂肪までに診断されておらず、検死解剖で初めてわかる症状のおよそ3分の2は、もっと早く発見されていれば治療できたものであることが明らかにされている
医師に手洗いを徹底させる
こうした問題の一部はまったく言語道断だが、それにもかかわらず、タバロックが指摘するように、これらは総じて一般市民に無視されている
医療の質を問うことをためらうもうひとつの例は、セカンドオピニオンを得ようとしないこと
これまで見てきたように、医師は頻繁に間違いを犯すためセカンドオピニオンが役立つ事が多い
乳がん検査で見つかったがんの8%はセカンドオピニオンによって異なる外科的治療計画につながった
不必要な手術の回避
セカンドオピニオンの義務付け
予測5 ドラマティックな健康の危機を助けることに重点を置く
もし目的が本当に「健康第一」なら、どのような形であれ、わたしたちはもっとも効果の高い健康戦略を求めようとするはず
医療を支援のシグナルとして利用しているなら、患者に危機が訪れたとき、患者がいちばん支援を喜ぶときに、それを提供して消費するだろう
人々は誰かが病気のときには喜んで医学的な介入をするけれども、日常のライフスタイルにはあまり介入しようとしない
だれもが緊急の治療を助けるヒーローになりたがり、食事を変えろ、睡眠をとれ、もっと運動しろ、大都市圏の大気汚染をなくせとうるさく小言を言う役になりたい人はほとんどいない
例として、3600人の成人を7年半追跡子た調査がある
郊外の居住者は都市部の居住者より平均して6年長生きで、たばこを吸わない人は喫煙者より3年長生き、また少ししか運動をしない人より運動を多くする人は15年長生きしたことが報告されている(Lantz et al., 1998) それとは対称的に、どれほど多くの医療を消費したかという点に注目した同様の調査からは、有意義な効果は見つからなかった
それにもかかわらず、今述べた効果ではなく、医療だけが、健康に関する人々の注目を集めている
むろんこうした現象を説明する方法はほかにも色々あるだろう
けれどもすべてを考え合わせると、わたしたちは「健康第一」にはあまり関心がなく、第三者がよいと考えるような治療に関心を持っていることが示唆される